減価する貨幣とは?

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このブログでは減価する貨幣について取り上げているが、このアイデアを考案したシルビオ・ゲゼル(Silvio Gesell、1862~1930)について紹介したい。

彼は1862年に、ザンクト・フィット(Sankt Vith)という街で生まれた。現在はこの街はベルギー領になっているが、当時はドイツの一部であり、現在でもこの街ではドイツ語が使われている。なお、この街にはシルビオ・ゲゼル通りが存在する。父親はプロイセンの徴税官吏で典型的なドイツ人である一方、母親は文学の才能のあるワロン人(フランス語圏ベルギーの人間)であったシルビオは、子どものうちからドイツとフランスの2つの文化に接しながら育つことになる。スペイン・マラガで貿易の仕事を行ったあと、1886年に24歳で彼は大西洋を渡り、南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで商売を始めて成功するが、デフレとインフレによりアルゼンチン経済が荒廃するさまを目の当たりにしたシルビオは経済学の研究をする決意を固め、1900年にスイスに農場を買ってそこで晴耕雨読の生活を始める。そして、1916年に代表作となる自然的経済秩序(独Die Natürliche Wirtschaftsordnung、英The Natural Economic Order、原文(ドイツ語)日本語訳英語訳)」を刊行することになる(初版の刊行後にスイス国内で行った講演2つを組み入れるなどして1920年に刊行された第4版が現在では研究用として主に読まれているが)。

「自然的経済秩序」という題名に違和感を感じる人も多いことと思うが、これは人間の「性質」(Natur、英nature)に沿った経済秩序、という意味である。ただ、現在ではこの本の題名の和訳としては「自然的経済秩序」という表現が定着しているため、このブログでもこの表現を使うことにする。

「自然的経済秩序」での提案は主に2つである。

1) 土地の完全国有化と、国庫に入る地代収入を母親年金に充当。

今の日本では考えにくいだろうが、当時のドイツや日本(そして途上国の多く)では、大地主が広大な農地を所有する一方で、大多数の農民は小作農として多額の小作料に苦しんでいた。そのため、シルビオ・ゲゼルは土地を完全に国有化した上で自分で農業を行う人間に直接貸し与えた上で、その地代を母親年金として子育て中の母親に子どもの数に応じて支給することを提案したのである。なお、詳細については「自然的経済秩序」の第2部をご覧になっていただきたい。

土地改革だけであれば、戦後の日本(農地改革)を含めて世界の多くの国で行われていることなのでそれほど珍しくはないが、母親年金という発想は少なくても当時(1910年代)の状況を考えれば非常に先進的なものであると言えるだろう。当時の女性は結婚後に働き続けることが難しかったため、生活の安定のために経済力のある男性との結婚を余儀なくされていたが、母親年金という形で子育て中の女性の生活を政府が保証すれば、仮に父親が事業に失敗して借金を抱えたり、失業してしまったり、事故や病気で夭折してしまったり、あるいは別の女性に浮気してしまっても、女性はその男性に経済的に頼る必要がなくなる。これについてだが、シルビオ・ゲゼルの影響ではないにしろ、母親に対して各種手当が充実している現在のフランスが、似たような政策を実現しているといえよう。また、シルビオ・ゲゼル自身も数多くの女性との間にたくさん子どもをもうけていた事実をここで付け加えておく。

2) 減価する貨幣(自由貨幣)の発行と流通

このブログの主題でもある減価する貨幣については「自然的経済秩序」の第4部でその実施方法や効果が詳述されているが、簡単にいうと現在の法定通貨の裏にスタンプを貼る枠を作り、毎週決められた曜日になると額面の1000分の1(1000円札なら1円、1万円なら10円)のスタンプを貼りつけないと有効でないようにするというものである。シルビオ・ゲゼル自身は、少額コインのかわりにスタンプを通貨として流通させることを提案しているが(日本風にいうなら、1円や5円、10円の切手をコインがわりに使うようなもの)、スタンプだとすぐに擦り切れてしまうことから、少額硬貨は現状通り流通させて、スタンプは別途購入する方式もよいだろう。

シルビオ・ゲゼル自身はその後、第1次大戦に敗戦して混乱していたドイツの中でもバイエルンはミュンヘンで1919年4月に成立したソビエト共和国(ランダウアー内閣)に入閣するものの、わずか1週間でこの政権が崩壊してしまい、死刑になりかけるも自己弁護により無罪を勝ち取る。その後はスイスへの再入国が禁止されるものの、ルーマニアやアルゼンチンなどを訪問したりしつつ比較的静かな余生を送った。

なお、このシルビオ・ゲゼルの息子であるカルロス・ヘセル(Carlos Gesell: カルロスはアルゼンチン人であったため、苗字はスペイン語式にヘセルと発音)は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州南部の海岸の砂丘地帯を開発し、この街は現在ではビジャ・ヘセル(Villa Gesell)という保養地になっているが、この街にはシルビオ・ゲゼル通りが存在している。また、この町の資料館ではカルロスらによる開拓の歴史が展示されているが、シルビオ・ゲゼル関係の資料も充実している(日本語の資料も展示されている)。

「減価する貨幣」と言っても、おそらく日本人の99%は何のことか分からないだろう。そういう方には、まずこちらの動画をご覧になっていただくことをお勧めする(2分53秒から18分31秒まで)。

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われわれが日常使っている通貨には、価値の「尺度機能」、「交換機能」そして「貯蓄機能」の3つがある。

尺度機能というのは、商品にどれだけの価値があるのかを測る目安になる、というわけだ。たとえばお米が1キロ500円で、ジャガイモが1キロ250円の場合、お米1キロはジャガイモ2キロと同じ価値があるということができる。

交換機能というのは、この価値を利用して商品を交換する機能である。たとえば、先ほどの例で言うならばコメ農家がジャガイモを欲しいと思ってコメを持っていっても、ジャガイモ農家がコメではなく魚がほしいと言った場合には取引が成立しない。しかし、何とでも交換できる通貨という媒介手段を使うことで、このコメ農家はジャガイモを手に入れることができるようになる。

そして最後の貯蓄機能は、商品のかわりにお金を使って価値を保存するということである。たとえばリンゴの場合、1年前のリンゴは腐ってしまっていて誰も食べようとは思わないが、お金であれば何年前のものであっても以前と同じように使うことができる(インフレがない場合)。

しかし、よく考えてほしい。お金を交換機能として使っているときには貯蓄機能としては使えず、逆に貯蓄機能として使っているときには交換機能としては使えない。交換機能と貯蓄機能は、両立不可能な役割なのである。そして、景気が悪くなり誰もがお金を使わなくなると、交換機能としてのお金の流通量が極端に減り、恐慌にまで事態が悪化してしまうことも少なくない。

また、商品と比べてお金のほうが価値の貯蔵に適しているため、同じ価値を持っている人の間でも商品を持っている人とお金を持っている人の間では、お金を持っている人のほうがはるかに有利になる。たとえば500円の弁当を20個持っている弁当屋と1万円札1枚を持っている人を比べた場合、弁当屋は今日のうちにこの弁当を売りさばく必要に迫られているが、1万円札1枚を持っている人は今日だろうが明日だろうが、来週だろうが5年後だろうが、いつでも好きなときにこのお札を使ってモノを買うことができるため、弁当屋よりもはるかに有利な立場にあると言える。

シルビオ・ゲゼルはこの矛盾に気が付き、交換機能としてのみ機能するお金として減価するお金を提案した。それが具体的にどのように機能したかについては上記の資料の通りなのでここでは繰り返さないが、手元に持っておくと少しずつ価値が減るお金により途切れない貨幣流通が発生し、それにより大恐慌下でも経済復興を達成できたのである。

このブログでは、シルビオ・ゲゼルが提唱した経済政策やその関連事項について、少しずつ紹介してゆきたい。