減価する貨幣とは?

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子育て給付については、ベーシックインカムの部分的導入として見る向きがあるが、やはり最大の問題は財政基盤であろう。そうであるなら、減価する貨幣として子育て給付金を支給してはどうだろうか。以下、具体的に論じてみる。

たとえば、2008年現在の日本の推計人口は1億2769万人だが、このうち18歳未満の人口は約2079万人である。とすると、仮にこの2079万人の子どもの保護者に毎月2万円ずつ支給したとすると、毎年4兆9896億円が必要になる。

(とりあえず、ここでは日本在住の18歳未満であれば、日本国籍の有無に関係なく支給することにする。100人の養子を持つ在日イラン人の例が以前問題になったが、この問題を解決する最善の策は、日本在住の18歳未満を対象とすることである。この場合、日本国外に住む日本人は対象外になる一方で、日本国内に住む非日本国籍者も対象となる。いずれにしろ、せいぜい全体の2~3%を占めるに過ぎない外国人子女は支給額に大きな影響を与える存在ではないので、ここについてはあまり拘泥しないでおきたい)

このように議論すると、「毎年5兆円もの支出が必要なら、財源はどうするのか?」という議論が出てくるが、ここで減価する貨幣が威力を発揮する。すなわち、減価によってこの毎年5兆円もの給付金がそのまま発行団体に還元されるような仕組みをつくればよいのである。実際にはもう少し複雑だが、これで大まかな流れはつかめるのではないだろうか。

減価する貨幣による子育て給付金の支給

減価する貨幣による子育て給付金の支給

具体的に説明しよう。このシステムは、「子育て支援ポイントシステム」として導入され、政府とは別にこのシステムの運営委員会(以下「運営委員会と表記」)が設立される。この子どもの保護者のみならず、個人に加えて企業・NPO・行政機関などあらゆる法人が、このカードを取得することができる。このカードは基本的に電子マネーではあるが、今やSUICAに代表される電子マネーに慣れている日本人であれば、新たな電子マネーの使用について特に違和感を覚えることもないだろう。

18歳未満の子どもの保護者のうち、このカードを持つ人であれば、子ども1人あたり毎月2万ポイント(=2万円)が、運営委員会から振り込まれる(もちろん子どもが2人いれば毎月4万ポイント、5人いれば毎月10万ポイント、(1))。このポイントは地元商店などで日本円のかわりで使用することができ、地元商店も仕入れ代金や公共料金、税金などの支払いにこのポイントを使うことができる((2)、(3)、(4)、(5))が、このポイントを日本円に換金することはできない。また、政府や地方自治体も、公共事業や人件費などの形でこのポイントを支出することができる(6)。しかし、毎週月曜日になるとこの残高が持ち越し費用として2%(たとえば残高1万ポイントの場合には200ポイント)減価するため(7)、このシステムでは最終的に子育て支援ポイント全額が持ち越し費用という形で運営委員会に還元されることになり、財源は必要なくなる。前述の例であれば、毎週約998億ポイント(1年(52週)では5兆1892億ポイント)が運営委員会に還元されるため、運営委員会によるポイントの過剰発行によりインフレが発生することはない。むしろ多少多目に発行することで、流通量の減少を補わなければならないほどである。また、当然のことながら誰も自分のカード残高の減価を望まないので、できるだけ早目にこの残高を使おうとし、その結果5兆ポイントほどの通貨発行量でもおびただしい乗数効果によって日本経済が急速に振興すると考えられる。この5兆ポイントが週1回のペースで取引を生み出したと仮定すると、年間では260兆ポイント(日本の2009年度GDPが約476兆円なので、なんとGDPの55%!)もの経済効果を生むことになる。以下、各当事者の動きを整理する。

運営委員会: 保護者に対して毎月、子ども1人あたり2万ポイントを支給する(1)一方で、毎週月曜日にポイント残高を2%減価。毎月4000億ポイントほど支給する一方で、減価という形で毎週1000億ポイント取り戻す(7)ので、通貨供給量は安定。また、日本円を給付するわけではないので、その面では日本円は不要。必要経費としてはポイントカードシステムのインフラの運営維持費ぐらいだが、毎年5兆ポイントもの給付金に比べれば大した額ではないはず。私もITインフラの専門家ではないので具体額は出せないが、せいぜい数百億円程度なので、どうしても日本円で賄うべき部分に関しては政府に運営費を出してもらってもかまわないだろう。

保護者: このポイントを手にしたら、減価を避けるべくできるだけ早く使ってしまおうとする(2)。また、税金の支払いも可能(3)。

一般企業、NPOなど民間部門: このポイントを日本円同様の支払い手段として、できるだけ早く使う。企業間取引や納税((4)あるいは(5))に加え、従業員への給与やボーナスとしての支払いも可能(図には描かれていないが)。

政府や地方自治体など公共部門: 日本円のかわりにこのポイントを税金や公共料金などの支払い手段として受け入れた上で(4)、公共事業や職員への給与などの支払いに使う(6など)。

もしかしたら、毎月2万ポイントではなく4万ポイントとか5万ポイントにしてもこのシステムがうまく行くかもしれないが、当然のことながら需要と供給のバランスが崩れ、インフレが起きる可能性もあるので、まずは2万ポイント程度で導入を行い、物価の推移を見極めた上で適正額を査定する必要があるだろう。また、仮にインフレが起きず、なおかつ経済活動が順調に推移した場合には、子育て給付だけではなくベーシックインカムとして、全人口を対象とした運用も可能かもしれない。いずれにしろ、日本経済全体の振興と関連して、このような観点から子育て給付を再検討すべき時期に来ているのではないだろうか。

日本経済はデフレに苦しんでいるが、このような時代だからこそ減価する補完通貨を導入して各地方の経済の活性化につなげてはどうだろうか。

デフレの問題としては、仕入れ価格と販売価格の差が縮まるため、利ざやが小さくなるという点である。たとえば70円で仕入れていたものを100円で売れば30円の利益が出るが、これを90円に値下げすると20円しか利益が出ない。家賃や光熱費、また従業員の賃金などの費用もこの利益から出す必要があることから、利ざやが狭まると経営が大いに圧迫されるわけである。また、このような状況ではお金が回らず、景気が悪くなるため、誰もがお金を節約するようになり、そのためにさらに経済活動が停滞するとう悪循環に陥っているのが現在の日本である。

しかし、減価する貨幣の場合、基本的に手元に置いておいても損するだけなので、誰もがその貨幣を使おうとする。そのため、安定した形で需要が創出され、これにより商品の値段を下げなくてもモノが売れるようになる。一見損するように見えるシステムだが、誰もがお金を使おうとするため経済活動が促進され、最終的には全員にお金が行き渡るようになるわけである。

カネは天下の回りモノというが、そういうカネとして補完通貨を今一度とらえなおすことが必要になっているのではないだろうか。

今の日本では、地下鉄や高速道路などのインフラ建設は赤字で作るだけムダという印象が強い。確かに政治腐敗の温床である公共事業に問題がないとは言えないが、現在私たちが使っている貨幣制度のせいでこれらの事業が赤字にさせられている現実を考えれば、特に道路族の政治家などには、この記事は非常に参考になるのではないだろうか。なお、私は土建屋とは何の関係もない。また、同じ構図は住宅ローンにも応用が可能である。

たとえば、地下鉄の例を見てみよう。こちらで東京都営地下鉄の2007年度の決算を読むことができるが、この5ページに路線別収支明細書が出ている。その中でも2000年に全線開業した大江戸線は約458億円の収入があるものの、運営費用として約581億円出ているために約124億円の赤字が出ている(それぞれの数字を億円単位で四捨五入しているので、このブログの数字をそのまま計算しても合計に一致しないことがある)。しかし、支出の内訳をよく見てみると142億円もの金利負担がある。ということは、仮に金利負担なしで大江戸線の建設ができていれば、2007年度時点で大江戸線は黒字になっていたと言える。また、減価償却費(建設費の償還)が206億円を占めているが、仮に減価償却が済んでいたとすると、この合計348億円は支出する必要がなくなり、人件費と物件費をあわせた227億円だけで運営可能で、運賃を半額にしても黒字になると言える(運賃が半額になれば当然のことながら地下鉄の利用者も増えることだろう)。

ちなみに、都営地下鉄4路線(浅草線、新宿線、三田線、大江戸線)を合わせると、1466億円の収入がある一方、人件費と物件費の合計が679億円、減価償却費用が443億円、そして金利が215億円なので、合計で1337億円の支出となり、多少黒字が出ている状態であるが、仮に金利がなければ黒字幅は343億円に、そして減価償却が全て済んでしまえば787億円もの大幅黒字となり、都営線全線を半額にしても黒字となる。まあ、実際には減価償却には駅や地下鉄路線のように一回建設してしまえば半永久的に使えるものだけではなく、車両のように定期的に更新が必要なものもあるので、この計算通りには行かないだろうが…。

また、高速道路の場合も同じことが言える。本四連絡橋については2003年度に累積赤字が切り離されたことによって黒字化していたが、その前の数字を見てみるといかに金利が問題であるかがわかる。2002年度には853億円もの通行料収入があったにもかかわらず、1087億円もの金利負担(元金返済を含まず)のせいで大幅な赤字を記録していた。仮にこの金利負担がなければ、1/4の通行料でも黒字になっていたことだろう(当時の高速道路会計には減価償却という発想はなかった)。

当然のことながら、減価する貨幣の導入により金利負担がなくなれば、これらの事業は全て黒字になる。そうなると、公共事業=赤字という構図が崩れ去り、少なくとも今のような公共事業の削減の嵐は止むことであろう(もちろん不要な公共事業については削減する必要はあるとは思うが)。

公共事業が減ったと嘆いている土建屋は少なくないだろうが、減る一方の仕事を霞が関に陳情する時間と手間があるのであれば、公共事業に有利になる通貨政策を研究したほうがはるかに有益ではないだろうか。

現在の経済状態を理解する上で、シルビオ・ゲゼルが「自然的経済秩序」で明らかにした必要(needs、Bedürfnis)と需要(demand,  Nachfrage)の違いについて、ここで説明することが有用であるように思う。

必要とは、経済学が成立する以前から存在したものである。たとえば衣食住はこの例であると言えるが、この必要は誰もが持っていると言える。

それに対し、需要とはあくまでも「その必要を満たすためには金銭を支払う用意がある」ものに限られる。なので、たとえばホームレスは雨露をしのげる宿を「必要」としているが、その必要を満たすための金銭を持っていないので「需要」にはならないのである。

今回の経済危機の問題は、金融バブルが崩壊して需要が大幅に落ち込んだことにある。仮に現金を持っていれば美味しいモノを食べたり高級車を買ったりすることに興味があったような人でも、金銭がないことには需要を創出できないわけである。当然のことながら、需要がないといくら企業が生産=供給を行っても売れず、このような事態になるわけである。

シルビオ・ゲゼルが減価する貨幣を提案したのは、景気動向に関係なく安定して流通する貨幣を供給することで、安定した需要を創出するためである。安定した需要創出のための道具として、減価する貨幣をもっと注目してもよいのではないかと思うが…。

このブログでは減価する貨幣について取り上げているが、このアイデアを考案したシルビオ・ゲゼル(Silvio Gesell、1862~1930)について紹介したい。

彼は1862年に、ザンクト・フィット(Sankt Vith)という街で生まれた。現在はこの街はベルギー領になっているが、当時はドイツの一部であり、現在でもこの街ではドイツ語が使われている。なお、この街にはシルビオ・ゲゼル通りが存在する。父親はプロイセンの徴税官吏で典型的なドイツ人である一方、母親は文学の才能のあるワロン人(フランス語圏ベルギーの人間)であったシルビオは、子どものうちからドイツとフランスの2つの文化に接しながら育つことになる。スペイン・マラガで貿易の仕事を行ったあと、1886年に24歳で彼は大西洋を渡り、南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで商売を始めて成功するが、デフレとインフレによりアルゼンチン経済が荒廃するさまを目の当たりにしたシルビオは経済学の研究をする決意を固め、1900年にスイスに農場を買ってそこで晴耕雨読の生活を始める。そして、1916年に代表作となる自然的経済秩序(独Die Natürliche Wirtschaftsordnung、英The Natural Economic Order、原文(ドイツ語)日本語訳英語訳)」を刊行することになる(初版の刊行後にスイス国内で行った講演2つを組み入れるなどして1920年に刊行された第4版が現在では研究用として主に読まれているが)。

「自然的経済秩序」という題名に違和感を感じる人も多いことと思うが、これは人間の「性質」(Natur、英nature)に沿った経済秩序、という意味である。ただ、現在ではこの本の題名の和訳としては「自然的経済秩序」という表現が定着しているため、このブログでもこの表現を使うことにする。

「自然的経済秩序」での提案は主に2つである。

1) 土地の完全国有化と、国庫に入る地代収入を母親年金に充当。

今の日本では考えにくいだろうが、当時のドイツや日本(そして途上国の多く)では、大地主が広大な農地を所有する一方で、大多数の農民は小作農として多額の小作料に苦しんでいた。そのため、シルビオ・ゲゼルは土地を完全に国有化した上で自分で農業を行う人間に直接貸し与えた上で、その地代を母親年金として子育て中の母親に子どもの数に応じて支給することを提案したのである。なお、詳細については「自然的経済秩序」の第2部をご覧になっていただきたい。

土地改革だけであれば、戦後の日本(農地改革)を含めて世界の多くの国で行われていることなのでそれほど珍しくはないが、母親年金という発想は少なくても当時(1910年代)の状況を考えれば非常に先進的なものであると言えるだろう。当時の女性は結婚後に働き続けることが難しかったため、生活の安定のために経済力のある男性との結婚を余儀なくされていたが、母親年金という形で子育て中の女性の生活を政府が保証すれば、仮に父親が事業に失敗して借金を抱えたり、失業してしまったり、事故や病気で夭折してしまったり、あるいは別の女性に浮気してしまっても、女性はその男性に経済的に頼る必要がなくなる。これについてだが、シルビオ・ゲゼルの影響ではないにしろ、母親に対して各種手当が充実している現在のフランスが、似たような政策を実現しているといえよう。また、シルビオ・ゲゼル自身も数多くの女性との間にたくさん子どもをもうけていた事実をここで付け加えておく。

2) 減価する貨幣(自由貨幣)の発行と流通

このブログの主題でもある減価する貨幣については「自然的経済秩序」の第4部でその実施方法や効果が詳述されているが、簡単にいうと現在の法定通貨の裏にスタンプを貼る枠を作り、毎週決められた曜日になると額面の1000分の1(1000円札なら1円、1万円なら10円)のスタンプを貼りつけないと有効でないようにするというものである。シルビオ・ゲゼル自身は、少額コインのかわりにスタンプを通貨として流通させることを提案しているが(日本風にいうなら、1円や5円、10円の切手をコインがわりに使うようなもの)、スタンプだとすぐに擦り切れてしまうことから、少額硬貨は現状通り流通させて、スタンプは別途購入する方式もよいだろう。

シルビオ・ゲゼル自身はその後、第1次大戦に敗戦して混乱していたドイツの中でもバイエルンはミュンヘンで1919年4月に成立したソビエト共和国(ランダウアー内閣)に入閣するものの、わずか1週間でこの政権が崩壊してしまい、死刑になりかけるも自己弁護により無罪を勝ち取る。その後はスイスへの再入国が禁止されるものの、ルーマニアやアルゼンチンなどを訪問したりしつつ比較的静かな余生を送った。

なお、このシルビオ・ゲゼルの息子であるカルロス・ヘセル(Carlos Gesell: カルロスはアルゼンチン人であったため、苗字はスペイン語式にヘセルと発音)は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州南部の海岸の砂丘地帯を開発し、この街は現在ではビジャ・ヘセル(Villa Gesell)という保養地になっているが、この街にはシルビオ・ゲゼル通りが存在している。また、この町の資料館ではカルロスらによる開拓の歴史が展示されているが、シルビオ・ゲゼル関係の資料も充実している(日本語の資料も展示されている)。

経済学では、金持ちの所得税を高くする一方で貧乏人には税金の減免措置を行うことで金持ちから貧乏人への富の再配分を行っていると説明されているが、現行の通貨制度ではその正反対の事態が起こっている。

以前、持続可能な成長という概念そのものを疑った記事をこのブログに投稿したが、この主張を行っているマルグリット・ケネディは、金利制度により貧しい人から豊かな人への富の再配分が起こっていることを、以下の図でわかりやすく示している。

この図では、ドイツの家庭を低所得(左)から高所得(右)まで並べているが、10家庭のうち貧しい8家庭で灰色(利払い額)が黒(利息収入)を凌駕している。家庭によっては直接借金をしていないところもあるだろうが、そういう家庭でも電化製品を買ったり、バス代を払ったりするたびに、電化製品メーカーや市役所交通局の利息負担の一部を間接的ながら支払っていることになる。その一方で、一番右(豊かな10%)は膨大な利息収入を得ている。

また、公共事業を行う場合には自治体や政府などが利息負担をする義務が出るが、これにより本来は国民全員に対して中立であるべき政府が、金貸し(つまり金持ち)に対してのみ利息を支払うという事態が発生する。国債や地方債の利払いにより、金持ちだけが豊かになっている現状も、マルグリット・ケネディは疑問視している。

減価する貨幣を導入すると、その性質上金持ちも利息を取れなくなるので、このような不公平な富の再分配はなくなるのだが…。

政治家のコメントや経済誌の記事では、持続可能な成長という表現がよく使われる。しかし、そもそも持続可能な成長という表現自体を私は疑ってかかりたい。

ドイツの建築家で、「エンデの遺言」でも登場したマルグリット・ケネディは、その主要著書「金利ともインフレとも無縁なお金」(1993)という本で以下のように説明している。

ケネディは、自然物であればAのような曲線をたどるとしている。すなわち子どもの頃であれば急成長をするものの、20歳を超えると量的成長は頭打ちとなる。これは経済でも同じで、貧しいうちは電化製品や持ち家などを必要とするが、ある程度経済的に豊かになるとそれほど必要ではなくなり、経済成長が停滞する。日本で言えば、誰もがテレビやクーラーなどを求めていた1960年代から80年代にかけては経済が成長したが、電化製品など文明の利器を誰もが持てるようになると消費が冷え込み、経済成長が望めなくなったのである。

しかし複利、すなわち指数関数的な成長を前提として成立している現在の金融システムではC型の成長が要求されている。これは自然界では実はガン細胞の成長であり、この金融システムにより遅かれ早かれ私たちの経済は破綻する運命にあるのだと、ケネディは説いている。

指数関数的な成長というものは、本当に恐ろしいものである。たとえば「ニューヨークのマンハッタン島を売ったアメリカ先住民が、仮にその代金24ドルを銀行に預けていたら、今頃マンハッタン島にある資産全てを買い占めることができただろう」という表現がある。実際には年利6%で計算してもそこまでの額にはならないが、それでも数十億ドル単位のお金にはなっていたことは間違いない。利率が6%だと12年で、5%でも15年で倍になるが、仮に毎年5%の割合で永遠に経済成長が続くとした場合、われわれの子どもはわれわれ自身よりも4倍、孫は16倍、そしてひ孫は64倍も経済的に豊かな生活を送れなければならないはずだが、そんな調子で永遠に経済成長が続くほうがおかしいと考えるほうが常識ではないだろうか。