減価する貨幣とは?

現在の経済状態を理解する上で、シルビオ・ゲゼルが「自然的経済秩序」で明らかにした必要(needs、Bedürfnis)と需要(demand,  Nachfrage)の違いについて、ここで説明することが有用であるように思う。

必要とは、経済学が成立する以前から存在したものである。たとえば衣食住はこの例であると言えるが、この必要は誰もが持っていると言える。

それに対し、需要とはあくまでも「その必要を満たすためには金銭を支払う用意がある」ものに限られる。なので、たとえばホームレスは雨露をしのげる宿を「必要」としているが、その必要を満たすための金銭を持っていないので「需要」にはならないのである。

今回の経済危機の問題は、金融バブルが崩壊して需要が大幅に落ち込んだことにある。仮に現金を持っていれば美味しいモノを食べたり高級車を買ったりすることに興味があったような人でも、金銭がないことには需要を創出できないわけである。当然のことながら、需要がないといくら企業が生産=供給を行っても売れず、このような事態になるわけである。

シルビオ・ゲゼルが減価する貨幣を提案したのは、景気動向に関係なく安定して流通する貨幣を供給することで、安定した需要を創出するためである。安定した需要創出のための道具として、減価する貨幣をもっと注目してもよいのではないかと思うが…。

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このブログでは減価する貨幣について取り上げているが、このアイデアを考案したシルビオ・ゲゼル(Silvio Gesell、1862~1930)について紹介したい。

彼は1862年に、ザンクト・フィット(Sankt Vith)という街で生まれた。現在はこの街はベルギー領になっているが、当時はドイツの一部であり、現在でもこの街ではドイツ語が使われている。なお、この街にはシルビオ・ゲゼル通りが存在する。父親はプロイセンの徴税官吏で典型的なドイツ人である一方、母親は文学の才能のあるワロン人(フランス語圏ベルギーの人間)であったシルビオは、子どものうちからドイツとフランスの2つの文化に接しながら育つことになる。スペイン・マラガで貿易の仕事を行ったあと、1886年に24歳で彼は大西洋を渡り、南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで商売を始めて成功するが、デフレとインフレによりアルゼンチン経済が荒廃するさまを目の当たりにしたシルビオは経済学の研究をする決意を固め、1900年にスイスに農場を買ってそこで晴耕雨読の生活を始める。そして、1916年に代表作となる自然的経済秩序(独Die Natürliche Wirtschaftsordnung、英The Natural Economic Order、原文(ドイツ語)日本語訳英語訳)」を刊行することになる(初版の刊行後にスイス国内で行った講演2つを組み入れるなどして1920年に刊行された第4版が現在では研究用として主に読まれているが)。

「自然的経済秩序」という題名に違和感を感じる人も多いことと思うが、これは人間の「性質」(Natur、英nature)に沿った経済秩序、という意味である。ただ、現在ではこの本の題名の和訳としては「自然的経済秩序」という表現が定着しているため、このブログでもこの表現を使うことにする。

「自然的経済秩序」での提案は主に2つである。

1) 土地の完全国有化と、国庫に入る地代収入を母親年金に充当。

今の日本では考えにくいだろうが、当時のドイツや日本(そして途上国の多く)では、大地主が広大な農地を所有する一方で、大多数の農民は小作農として多額の小作料に苦しんでいた。そのため、シルビオ・ゲゼルは土地を完全に国有化した上で自分で農業を行う人間に直接貸し与えた上で、その地代を母親年金として子育て中の母親に子どもの数に応じて支給することを提案したのである。なお、詳細については「自然的経済秩序」の第2部をご覧になっていただきたい。

土地改革だけであれば、戦後の日本(農地改革)を含めて世界の多くの国で行われていることなのでそれほど珍しくはないが、母親年金という発想は少なくても当時(1910年代)の状況を考えれば非常に先進的なものであると言えるだろう。当時の女性は結婚後に働き続けることが難しかったため、生活の安定のために経済力のある男性との結婚を余儀なくされていたが、母親年金という形で子育て中の女性の生活を政府が保証すれば、仮に父親が事業に失敗して借金を抱えたり、失業してしまったり、事故や病気で夭折してしまったり、あるいは別の女性に浮気してしまっても、女性はその男性に経済的に頼る必要がなくなる。これについてだが、シルビオ・ゲゼルの影響ではないにしろ、母親に対して各種手当が充実している現在のフランスが、似たような政策を実現しているといえよう。また、シルビオ・ゲゼル自身も数多くの女性との間にたくさん子どもをもうけていた事実をここで付け加えておく。

2) 減価する貨幣(自由貨幣)の発行と流通

このブログの主題でもある減価する貨幣については「自然的経済秩序」の第4部でその実施方法や効果が詳述されているが、簡単にいうと現在の法定通貨の裏にスタンプを貼る枠を作り、毎週決められた曜日になると額面の1000分の1(1000円札なら1円、1万円なら10円)のスタンプを貼りつけないと有効でないようにするというものである。シルビオ・ゲゼル自身は、少額コインのかわりにスタンプを通貨として流通させることを提案しているが(日本風にいうなら、1円や5円、10円の切手をコインがわりに使うようなもの)、スタンプだとすぐに擦り切れてしまうことから、少額硬貨は現状通り流通させて、スタンプは別途購入する方式もよいだろう。

シルビオ・ゲゼル自身はその後、第1次大戦に敗戦して混乱していたドイツの中でもバイエルンはミュンヘンで1919年4月に成立したソビエト共和国(ランダウアー内閣)に入閣するものの、わずか1週間でこの政権が崩壊してしまい、死刑になりかけるも自己弁護により無罪を勝ち取る。その後はスイスへの再入国が禁止されるものの、ルーマニアやアルゼンチンなどを訪問したりしつつ比較的静かな余生を送った。

なお、このシルビオ・ゲゼルの息子であるカルロス・ヘセル(Carlos Gesell: カルロスはアルゼンチン人であったため、苗字はスペイン語式にヘセルと発音)は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州南部の海岸の砂丘地帯を開発し、この街は現在ではビジャ・ヘセル(Villa Gesell)という保養地になっているが、この街にはシルビオ・ゲゼル通りが存在している。また、この町の資料館ではカルロスらによる開拓の歴史が展示されているが、シルビオ・ゲゼル関係の資料も充実している(日本語の資料も展示されている)。

山形県高畠町では地域通貨で納税可能になる事例が出始めるということらしいが、遅くなったとはいえこのブログでもその事例について取り扱いたい。

この事例の場合、実体としては地域通貨ではなく、単に商店街で使える商品券とポイントカードを組み合わせたものでしかない(日本では地域通貨とスタンプカードの区別を意図的にしないのが問題であり、それについてはここでも書いたが)。ただ、地域通貨という名称を使うことで物珍しさから人を呼ぼうというわけで、むしろマーケティングの手段として地域通貨という名称が実態を伴わないまま使われていると言える。この商品券は通常は商店街での買い物に使われるわけだが、この商品券で地方税なども納入できるようにしようというだけの違いであるといえよう。

地域通貨が本当に地域通貨として流通するようになるには、この地域通貨で税金を納入された町役場がこの地域通貨で公共事業費の一部を支払ったり、町役場の職員のボーナスを支給したりするようにならないといけないだろう(本給については労働基準法第24条により基本的には「通貨」で支払わないといけないが、この通貨には地域通貨はおそらく含まれないため)。英語では、水流(current)から派生したcurrencyという単語が「通貨」という意味で使われていることから、通貨は「ずっと流通してナンボ」という考え方があるといえるが、日本ではこういうような考え方は存在しないのであろうか…。

経済学では、金持ちの所得税を高くする一方で貧乏人には税金の減免措置を行うことで金持ちから貧乏人への富の再配分を行っていると説明されているが、現行の通貨制度ではその正反対の事態が起こっている。

以前、持続可能な成長という概念そのものを疑った記事をこのブログに投稿したが、この主張を行っているマルグリット・ケネディは、金利制度により貧しい人から豊かな人への富の再配分が起こっていることを、以下の図でわかりやすく示している。

この図では、ドイツの家庭を低所得(左)から高所得(右)まで並べているが、10家庭のうち貧しい8家庭で灰色(利払い額)が黒(利息収入)を凌駕している。家庭によっては直接借金をしていないところもあるだろうが、そういう家庭でも電化製品を買ったり、バス代を払ったりするたびに、電化製品メーカーや市役所交通局の利息負担の一部を間接的ながら支払っていることになる。その一方で、一番右(豊かな10%)は膨大な利息収入を得ている。

また、公共事業を行う場合には自治体や政府などが利息負担をする義務が出るが、これにより本来は国民全員に対して中立であるべき政府が、金貸し(つまり金持ち)に対してのみ利息を支払うという事態が発生する。国債や地方債の利払いにより、金持ちだけが豊かになっている現状も、マルグリット・ケネディは疑問視している。

減価する貨幣を導入すると、その性質上金持ちも利息を取れなくなるので、このような不公平な富の再分配はなくなるのだが…。

日本では地域振興券も地域通貨も同じものとして混同されているようだが、両者は似て非なるものである。これについて、説明したい。

地域振興券については、1999年に出されたものが有名だが、これの流れについて考えてみよう。

  1. 政府が各地方自治体に、発行額に応じた資金を支給。
  2. 自治体はこの資金を担保に、額面1000円の地域振興券を対象者1人あたり20枚発行し各家庭に配布。
  3. 各家庭はこの地域振興券で、地元商店で買い物を行う。
  4. 地元商店はこの地域振興券を現金化(他の商店で使うことは禁じられているため)。

ということは、地域振興券で起こった経済効果は、結局地域振興券の発行額ぶんでしかない。たとえばこの方式で1兆円バラ撒いても、1兆円以上の効果は望めないのである。また、この地域振興券が来たことで、ふだんは毎月10万円消費する高齢者が12万円消費すれば経済効果はあったと言えるが、消費行動を変えずに余った2万円をタンス預金するなり銀行に預けるなりした場合、この高齢者による経済効果はゼロと言える。極論すれば、日本人全員が余った2万円を預金に回した場合、政府が1兆円以上使っても経済効果はゼロという、本末転倒な事態さえあり得るのだ。

最近この地域振興券が再度もてはやされ、特にプレミアムつきの商品券(たとえば5000円で5500円ぶんの地域振興券を買うことができて、それで地元商店で5500円ぶんの買い物を行い、地元商店はこの受け取った振興券を現金化するというもの)が流行っているらしいが、当然ながらこういうシステムでは500円ぶんの赤字になるため、この赤字を地元自治体が負担する例が多い。結局これでは、単に地元商店にカネさえ流れれば万々歳で、自治体がいくら赤字になろうが知ったことではないという無責任さが蔓延することになる。特にどこの自治体も多かれ少なかれ財政赤字に苦しんでいるときに、このように自治体からカネをたかって地元商店街万々歳みたいな構図を作ることは、倫理的にも経済的にもあまりよろしくないだろう。

地域通貨の場合、この構造自体がだいぶ違う。たとえば、仮に地域振興券を地域通貨のようにした場合には、このような例が可能となる。

  1. 政府が各地方自治体に、発行額に応じた資金を支給。
  2. 自治体はこの資金を担保に、額面1000円の地域通貨で対象者1人あたり20枚発行し各家庭に配布。
  3. 地域通貨を受け取ったA氏は、この地域通貨で地元の八百屋で買い物。
  4. 地元の八百屋は地域通貨でレタスを農家から仕入れ。
  5. 地元のレタス農家は地域通貨で地元産の日本酒を購入。
  6. 地元の酒蔵は地域通貨で原材料のコメを地元の農家から仕入れ。
  7. 地元のコメ農家はこの地域通貨でガソリンを購入。
  8. ガソリンスタンドは地域通貨を日本円に交換。

この場合には、A氏>八百屋>レタス農家>酒蔵>コメ農家>ガソリンスタンドと、5回取引が行われていることになるので、たとえば1000円でも5000円の経済効果を地域にもたらすことが可能である。仮に先ほど紹介した1兆円が全てこのような形で循環したとすると、5兆円の経済効果を生み出すことができる(もちろん、八百屋が直接現金化する場合もあるので、その場合には経済効果は1000円だけだが)。地域振興券では1兆円発行しても実際には数千億円程度の経済効果しか出ない場合があることを考えると、大きな違いがあると言えるだろう。流動性の重要性についてはヴェルグルの事例ですでに説明しているが、やはり単にお金をバラ撒くだけではなく、流動性を最大化するような形でバラ撒くことを考えたほうがよいのではないだろうか。なお、バークシェア(米国マサチューセッツ州)やキームガウアー(ドイツ・バイエルン州)など世界的に有名な地域通貨では、現金化の際に手数料を取ることでできるだけ地域内循環を促進している。

あと、現在の法律では「紙幣類似証券取締法」により地域通貨の流通がある程度制限されているが、これについても官庁のさじ加減一つの問題であり、官庁次第ではどうにでもなると言えるだろう。もちろん、あくまでも法律である以上、地域通貨に積極的な政党がこの法律を廃止したり改正したりして、地域通貨の合法化を達成することもできるだろうが。

さて、このような議論を踏まえて、政府貨幣を成功にするにはどのようにすればよいかについて、具体的にかつ戦略的に考えてみたい。なお、詳しい理論的説明を読みたくない人は、赤字の部分だけ読んでもらってもかまわない。

1) 流動性の重要性についての議論を活発に実施

昨日書いたヴェルグルの例でも明らかだが、「カネは天下の回りモノ」であってなんぼの存在である。政府貨幣についても、たとえば特別給付金として1万5000円各人に単にバラ撒いても、そのぶん1万5000円ぶん預金が増え、日本円と同じように何回か流通して政府に税金として戻ってくるだけの結果に終わっては何の意味もない。ヴェルグルでは通貨供給量は平均でわずか5400シリングだったにもかかわらず、毎日1回以上の取引を仲介したことで250万シリングもの経済効果を生み出したが、とにかく日本円とは違って退蔵することができず、絶えず流通する仕組みの通貨を導入することで経済の安定化を目指すという議論を行い、世論がそれについて来るようになるまで待つ必要があるだろう。つまり、10兆円バラ撒いても2回しか取引を行わなければ経済効果は20兆円に過ぎないが、バラ撒き額が1兆円でも100回取引を行えば100兆円の効果を生むことになり、そのためには減価する貨幣という、歴史的にも実績のある制度を実施する必要があるというように世論を誘導するわけである。

2) 携帯電話業者などと提携して、電子通貨決済機能つきの携帯電話端末を大量生産し、その開発費用は政府が全部負担。

減価する貨幣を効率よく市中に流通させるには電子化が不可欠だが、そのための費用は最小化する必要がある。地上波デジタル化でもこれだけ世論の反発が強い現状を考えると(世界の主要先進国が軒並み地上デジタル化を進めているのに、日本だけ乗り遅れたら技術立国として恥ずかしいとは一般日本人は考えない)、今や高齢者を含めて日本人や日本在住の外国人の大多数が保有している携帯電話に電子通貨決済機能を搭載させ、メールを送ったりSUICAを改札口にタッチしたりする感覚で、個人間でも電子通貨決済ができるシステムを開発する。この際に住基カードを絡めると世論の反発を受けるので(住基カードそのものに対する反発のほか、住基カードベースの地域通貨の失敗もその理由にある)、住基カードは今回は関連付けさせないようにする(総務省が怒るかもしれないが、年齢認証だけであれば独自カードにする必要のないTASPOの開発が必要だった経緯を見れば明らか)。

3) このように政府貨幣に必要なインフラや世論が十分に整備されるのを待って、減価する貨幣として政府貨幣を導入

具体的には、以前紹介したオランダのNGO「ストロハルム」によるフォメントプロジェクトのような形で、公共事業での支払いの一部を電子通貨建てにするという形での運営が可能だろう。仮に流通額がわずか1兆円(ちなみに日本円の流通額は現金だけでも70兆円以上、普通預金や当座預金を含めると500兆円近く)しかなくても、毎日1回のペースでこの減価する貨幣が流通すれば365兆円もの経済効果を生むことになる。ちなみに、日本のGDPはここ20年近く、500兆円前後で推移している。

いずれにしろ、性急に実施して失敗するぐらいなら、時間をかけて機が熟すのを待つ必要があることだけは確かであろう。

最近話題になっている政府貨幣だが、成功事例として導入したいのであれば、やはり過去の成功事例から学ぶ必要があるだろう。すでにこのブログでも紹介した「エンデの遺言」(13分56秒~18分31秒)でも取り上げられている、オーストリア・チロル州のヴェルグル(Wörgl)の事例について、ここでは詳しく紹介したい。

ヴェルグル自体は、もともとはアルプス山脈のふもとにある寒村にしか過ぎなかったが、19世紀中葉にオーストリア西部からウィーンに向けての路線と、当時はオーストリア帝国領だったトリエステから国境を越えてドイツはバイエルンの首都ミュンヘンを結ぶ鉄道路線の交差点になったことから、交通の要衝として栄え始め、繊維工場などがこの地に建設される。1900年当時でも650人程度にしか過ぎなかった人口は1910年時点で4000人以上に増え、各種産業を備えた町として栄えるようになる。

しかし、当然のことながら、この当時世界を襲っていた大恐慌はこの町にも暗い影を投げかけていた。鉄道も従業員を100人以上減らし、繊維工場に至っては閉鎖にまで追い込まれ、これにより400人程度いた従業員がほぼ全て失業することになった。5000人弱しかいない町でこれだけのことが起こった場合、経済がマヒ状態になることは想像に難くない。実際、町役場は破産状態だった。11万8000シリングほど未納金があったのだが、誰もお金を持っていない状態では税金を徴収することもできなかったのである。

こんな状態であった1931年に町長になったのが、シルビオ・ゲゼルの理論に詳しかったミヒャエル・ウンターグッゲンベルガー(Michael Unterguggenberger)である。彼は翌1932年7月末に「労働証明書」という地域通貨を作成し、町役場の職員に対して1000シリングを地域通貨で支払った。

この地域通貨は、表面にスタンプを貼るスペースが設けられており、新しい月になるたびに額面の1/100にあたるスタンプを貼る必要があった。ということは、仮にこの貨幣を1年間タンス預金していた場合、12%もの額が失われることになるため、誰もこの貨幣を手元に残しておこうとは思わず、むしろ次から次に消費することになり、そして未払いの税金を払うためにも使われた。この労働証明書の導入後わずか3日後に、町役場の職員が「1000シリングしか発行していないのに5100シリングも労働証明書で税金が入ってきました! 偽造に違いありません」と町長にあわてて報告したらしいが、同じ紙幣が町役場と町内の事業所をわずか数日で何往復もしたと考えると、別に不思議ではないだろう。

このようにして、翌1933年の9月に中央銀行によって禁止されるまでの13ヶ月の間に、平均で5400シリングほど流通していたこの労働証明書により、250万シリングもの経済効果が生まれた。当然失業率も下がり、地域経済が活性化した。人によっては、手元に置いておいてスタンプの購入代金を負担させられるぐらいなら、と税金の前払いに応じた人までいたらしい。

なお、2006年にこの歴史を記念して、このようなモニュメント(ドイツ語)が作られ、駅前から中心商店街を通る道の石畳に掲げられている。また、この歴史を後世に伝えるべく、ウンターグッゲンベルガー研究所(ドイツ語)が設立され、減価する貨幣や補完通貨についてさまざまな情報を提供している。

これらの事例を踏まえて、2009年の日本で政府貨幣を導入するのであれば具体的にどのようにすべきかについて、次回の投稿で紹介したい。